「49番の河童」w/錦鯉
ある夏の日、お祭りに行くと、くじ屋を見つけた。景品を見ると、50番のところにずっと欲しかったファミコンがあった。ぼくはお父さんに頼み込み、くじを引かせてもらえることになった。けれど、引いた番号は49番で、惜しくもファミコンを逃してしまった。
残念がっていたときだった。くじ屋の店主が裏に引っ込み、「これが49番の景品です」
と言って、小さな何かを連れてきた。それは緑色をして頭の上にお皿のようなものが乗っている、見たことのない生き物だった。
「すごい!河童じゃないか!」
と興奮するお父さんの隣で、お母さんは気持ち悪そうな顔をしている。
「こんなのもらってどうするのよ。ヌメヌメしてるだけじゃない」
そんなお母さんをお父さんが説得し、ぼくは河童を飼うことになったのだった。
しかし、いざ飼うとなると、河童の飼い方なんてお父さんも知らなかった。そこで、まずは一緒に食卓を囲んでみて、河童の好きなものを探るところからはじめてみた。すると、イメージどおり河童は最初にきゅうりへ手を伸ばした。
「河童って、ほんとにきゅうりを食べるんだ!!」
お父さんは興奮しっぱなしだ。
つづいて河童が口にしたのは、おでんだった。これにはお父さんも意外だったようで、唸り声をあげていた。
河童はどんなところに棲みたいものなのか。それも分からず、まずはぼくの部屋で河童を飼うことになった。いや、ここまでくると、飼うというより、一緒に暮らすことになったと言ったほうが正確だ。
ぼくは河童にいろんな遊びを教えてみた。積み木に、パズルに、ベーゴマに、河童はすぐにコツをつかみ、いい遊び相手になってくれた。話している言葉も最初は「ルッパッパー」という河童語だったのだけれど、教えてあげると、だんだん人の言葉をしゃべるようになっていった。
ところが、ぼくの家で河童を飼っているということが近所に知れ、よからぬ噂をささやかれるようになった。ある家の人は冷蔵庫から魚がなくなったと言って、「河童のせいだ」と文句を言った。ほかの家の人は、子供がケガをしたときに、「縁起が悪い、河童のせいだ」と言って乗りこんできた。近所からは何かと濡れ衣を着せられ、そのたびに河童はひどく落ちこんだ。河童でも濡れているものでダメなものがあるのだと、ぼくはこのときはじめて知った。
そうこうするうちに、家の中での河童の立場も変わってきた。お母さんは「ほら、言ったでしょ?」と言って、どこかに捨ててくるようにと言いだした。あれほどはしゃいでいたお父さんも近所の手前、バツの悪そうな顔をしているばかりだ。
ぼくの気持ちもなんだか移り変わっていって、思わず「お前、全身緑じゃね?」と言ってみたり、「お前の頭、皿だよな」とドーナツを乗せてみたりした。半分は冗談のつもりだったのだけれど、河童はますます傷ついて、ふさぎこむようになっていった。
別れの日は唐突に訪れた。「探さないでください」という書置きをのこし、河童が家を出て行ってしまったのだ。そのときになって、ぼくはようやく自分のしたことの意味を知り、激しい後悔にとらわれた。すぐに家を飛び出して河童の姿を探したけれど、ついに河童を見つけることはできなかった。
時は経ち、ぼくもすっかり大人になって子供もできた。
ある夏の日、ぼくは子供を連れて近所のお祭りに足を運んだ。
「ねぇねぇ、くじ、やってもいい?」
子供にねだられ、くじ屋の前まで行ったときだった。ぼくは思わず大声をあげてしまった。目の前の景品棚の一角、49番のところに、あのときの河童がいたのだ。
これは運命だと、ぼくは子供を跳ねのけて、自分でくじの箱の中に手を突っこんだ。
――どうか49番が出てきてくれ。あのときの過ちを償うチャンスを、ぼくにくれ――
願いながら引いたくじを開いた瞬間だった。隣で覗きこんできた子供が叫び声をあげた。
「50番! すごい! お父さん、ニンテンドースイッチが当たったよ!」
喜ぶ我が子を隣にしながら、ぼくは河童と目があった。
ライブの様子はこちらからごらんになれます↓
0コメント